吐く息も白く、キーンと冷えた空気に思わず身震いしてしまう寒さ厳しい冬。
日照時間が短く、暗くて陰鬱な毎日で、春の到来が待ち遠しい季節かもしれません。
そんな変わり映えのしない冬の最中に高揚感をもたらすのが、ふわりと舞い降りる真っ白な雪。
豪雪地帯を除き、普段見慣れない雪が降り積もると、ワクワクと弾む心を抑えつつ、静寂に包まれた神秘的な光景に感じ入ってしまいます。
俳句の世界でも、美しい冬の風情がたっぷりの雪にちなんだ句が多く詠まれてきました。
ただ、雪を含んだ季語であっても冬を暗示せず、春を意味する季語である場合も多く、俳句を創作する際は混同しないよう注意が必要です。
雪が冬の季語にあたるのは、初雪・雪の花・雪片(せっぺん)・細雪(ささめゆき)・吹雪・雪山・雪国など。
対照的に、春雪や春吹雪を始めとして、残雪・淡雪・雪の果(ゆきのはて)・雪解け、などは春の季語です。
春になっても消えずに残る雪を指す「残雪」を用いた俳句には「残雪の硬きを踏めば去り難し」(山口誓子)、「残雪や小笹にまじる龍の髭」(芥川龍之介)などがあり、冬の終わりの寂しさと春への期待が入り混じった陰陽を感じさせます。
降る雪と積もる雪の違いもありますが、同じ雪を用いた季語が冬と春に分かれる理由は、古くからの風習が旧暦をベースにしているからです。
旧暦では春の3ヶ月を初春・仲春(ちゅうしゅん)・晩春に分類し、残雪は仲春の頃を示す季語です。
気候による四季区分で春は3~5月なので、仲春は4月と早合点しそうですが、現代のカレンダーのベースになっている太陽暦でいう3月(旧暦や太陰暦の上では2月)にあたります。
参考までに、残雪の一種とも言える晩年雪は、1年中雪が解けない状態で特定の季節を描写できず、季語とはなり得ません。
また、山の谷や沢に積もって残る雪渓は、山肌の残雪とは異なり、夏の季語になります。
雪残る頂ひとつ国境の季語は「雪残る」で正岡子規の句、季節は春!
日本の伝統文芸である俳句。
和歌から派生した連歌が、発句や連句を含む俳諧連歌(はいかいれんが)となり、最初の五七五である発句を独立させたのが俳句の始まりです。
江戸時代には、松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶の3大俳人が多大な功績を残し、明治期に入ると正岡子規により現代に通じる俳句が定着しました。
晩年は結核を患いながらも2万句を超える俳句を詠み、34年の短い生涯を閉じた正岡子規。
勉学のため上京するまで、温暖な愛媛県の松山市で生まれ育ったせいか、珍しい雪には特別な思い入れがあるとみえ、雪をテーマにした俳句も多く創作しています。
雪を季語とした子規の俳句では「いくたびも雪の深さを訪ねけり」(季節:冬)が良く知られ、病床に伏しながらも、積雪への期待を隠せない子規の興奮が伝わってきます。
一方で「雪残る頂ひとつ国境(くにざかい)」は、地域の境をまたぐ山々のうち、1つの頂上だけに残る雪をイメージして、春の到来を間近に感じると詠んだ雪の句も。
季語は「雪残る」で残雪と同じ意味となり、季節は春を表します。
あたかも目にした光景を活字化したかのような俳句ですが、病で遠出が叶わない子規の空想による作品です。
ちなみに「雪ふりや棟の白猫声ばかり」とは、子規が明治18年(1885年)に友人に宛てた書簡にしたためたもので、子規による最初の俳句として認識されています。
一面に降り積もった雪で、白猫の姿が紛れてしまい鳴き声だけが聞こえるという、幻想的な雪景色にユーモアを加えた一句です。
歴代の俳人として名を馳せた正岡子規が、初めての俳句の季語に雪を選ぶほど、いかに雪に魅せられ、どれほどの愛着を持っていたのか、興味深い点です。
雪形は春の季語で、残雪が織り成す模様を色々な形に見立てたもの!?
冬につきものの「雪」を含む季語のうち、俳句上の季節として春を意図する語句は数多くあり「雪形(ゆきがた)」もその代表例です。
雪形とは、山の表面に残った雪を遠くから眺めた時に、所々に覗く地面や岩肌とのコントラストが織り成す模様を、色々な形に見立てたもの。
まるで自然が山に描いた隠し絵とも言えるでしょうか。
暖かい春になると山に積もった雪が徐々にとけ始め、残された雪によって形成されるのが雪形であるため、春の季語である「残雪」にちなんだ子季語の位置付けです。
雪形は、岩肌が形作るダークカラーのものと、残雪による白色模様の2種類に大別されます。
馬や白鳥といった動物や、僧侶などの人物の形状が、あたかも山肌に浮き出たかの現象は、古くから農作業を行う時期を判断するシグナルとして活用されてきました。
日本各地の山々で雪形が見られ、新潟県や長野県の山脈を中心に、その数は300を越えます。
なかでも、北アルプス白馬岳の代搔き馬や、日本百名山に数えられる常念岳(長野県松本市)の黒い常念坊の姿などが有名です。
江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は「富嶽百景」の中で、富士山の雪形である農夫を描いていますが、残雪による絵を指す雪形という言葉が一般的になったのは、昭和に入ってから。
そのせいか雪形を使った俳句例としては「雪形の爺の加齢の定かなり」(中原道夫)、「雪形を勝手に見立て旅はじめ」(伊藤白潮)など、近代の作品がほとんどです。
雪解けとともに姿形を変えていく、はかない移ろいが魅力でもある雪形。
今では、俳句の季語として用いられるのはもちろん、ユニークな雪形を探し訪ねる雪形ウォッチングや雪形まつりが開催されるほど認知度が高まり、新しい雪形も次々と発見されています。
まとめ
冬の風物詩である雪は、俳句の季語として常用されてきました。
雪を含んだ季語であっても、託された季節は冬と春の2通りに分かれます。
初雪や細雪などの季語が冬を表す一方、残雪や雪解けなどは春の季語です。
正岡子規による「雪残る頂ひとつ国境」は「雪残る」が季語となり、春を詠んだ俳句で、雪から派生する季節感の豊かさが感じられます。
また、山の表面に見られる残雪が織り成す模様である「雪形」は春の到来を告げる現象です。
俳句でも、春の情景を詠むのに相応しい、趣あふれた季語と言えます。