暑さ厳しい夏はどこへやら、ピリッと澄んだ空気に木々の葉が鮮やかに色付き始め、今年も秋が巡って来ました。
俳句をたしなむ者にとっては、秋はお題に事欠かない美しい季節と言えます。
一見すると難しそうに感じる俳句ですが、基本ルールは、ざっくりと2つのみ。
定型である五七五の17音に当てはめ、季節を暗示するキーワードである季語を含めたらOKです。
秋を題材とした俳句は数多く、言わずと知れた俳人正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」や、松尾芭蕉による「秋深き隣は何をする人ぞ」などの名句が思い浮かびます。
俳句を詠むには季語の選定が第一歩で、「柿」や「秋深き」は典型的な秋の季語です。
他にも沢山の季語が存在しますが、頻出の高さで言えば、いつもより広々と感じられる秋の青空にちなんだ季語が突出しています。
秋天・秋の空・秋晴・鰯雲などが代表的ですが、澄んだ空を表現する「空青し」も秋の俳句の季語として使えるでしょうか。
季語が指し示す季節が明白に分かりにくい時は、実際に「空青し」を使った俳句を検証してみると、迷いが解消できます。
高浜虚子に師事した大正期のホトトギス派の俳人である原石鼎(せきてい)は「竹林に透く空青し冬の蜂」と冬の空を例えました。
また「三月や暮るる間際の空青し」とは、戦後生まれの女性俳人で、俳人協会理事を務める西村和子による俳句で、春の空を表現したものです。
さらに、数々の句集を出版した昭和の俳人、福田甲子雄は「蕗の葉に山女三匹空青し」と描写し、蕗や山女といった初夏の季語と一緒に「空青し」を用いています。
「冬桜常陸風土記の空青し」(原和子)、「霜柱接ぎ足し今日も空青し」(加藤裕子)、「靴と靴叩いて冬の空青し」(和田耕三郎)と現代俳句でも多数の前例がありますが、「空青し」は、秋以外の季節または冬を暗示する季語と一緒に使われていることが多いです。
「空青し」が秋を意図する俳句は非常に稀で、単独の季語として秋を表現するには不十分と言えるかもしれません。
しかし、ここが俳句の奥深さや面白さを実感する部分でもあります。
何故なら、「空青し」を「秋空青し」とアレンジを加えて端的に秋を示すことも可能なうえ、秋を意味する他の季語を入れて「空青し」と組み合わせれば、秋らしさが十分に伝わる俳句が詠めるからです。
是非、自分らしいオリジナルの工夫を凝らしてみましょう。
「空高く」は季語として使える?秋の季語?俳句の例としては?!
「空青し」から連想する秋の大空を表す季語と言えば、「空高く」も良い候補です。
秋晴れの空はどこまでも青く、清々しく広がります。
これはあながち気のせいでもなく、気象状況による影響を受けているからです。
秋の晴天をもたらす高気圧は、水蒸気が少なく乾燥していているうえ、夏の間に生い茂った草木が地上の砂埃が舞うのを防いでくれるため、スッキリと透明度の高い空が保たれます。
また、日射しも和らぐので、寒暖による空気の流れが穏やかになり、クリーンな大気が空の青さをより引き立てる結果に。
秋雲も、上空高くにさらりと軽く浮かぶので、空がより高く感じられる要因になります。
「空高く」もしくは「空高し」は、「秋高(しゅうこう)」・「天高し」と共に、本来の季語である「秋高し」から派生した子季語にあたります。
秋の季語としても最適ですが、空が高いという広範囲に渡る含みを持つ言葉のため、前例を探ってみると、オールシーズン対応可能です。
明治の随筆家である幸田露伴の「空高く山やや青しほととぎす」では、夏の時鳥であるホトトギスを季語として、山と空の美しい情景を描写しています。
物理学者という異色の経歴を持つ俳人の寺田寅彦による「空高く林檎を守る案山子哉」は、秋の季語であるりんごや、鳥から農作物を守る案山子(かがし)が盛り込まれ、秋の青空と赤いりんごの色彩バランスも良く、秋の趣ある名句です。
大正期の俳人である飯田蛇笏(だこつ)は、「空高く白梅の咲く風景色」と冬から春への移ろいを詠みました。
「空高く花遊ばせて山桜」(五十島典子)ではうららかな春の空を描き、「空高く燕飛ぶなり貴船村」(五十嵐播水)は、季語の燕が春の空を高々と飛ぶ様子が想像できます。
句例が多岐に渡る「空高く」は秋の空だけでなく、他の季節を表現する際にも有用なフレーズとして使えるので、覚えておくと重宝する言葉です。
俳句のスタイルは“有季定型”が基本形となっています。
有季定型とは、季語があり十七音で構成されるとの意味です。
さらに“一句一季語”、すなわち1つの俳句には、1つの季語を含めるという大前提もあります。
その理由は複数の季語を重ねることで、言わんとする情景の美しさを打ち消してしまい、読み手に真の意図が伝わらない恐れがあるからです。
とは言え、前例を見ると「空高く」は対象範囲が広いので、明確な季語と併用することで、四季感のはっきりした描写を可能にします。
「天高く」は季語として使える?秋の季語?俳句の例としては?!
秋の俳句の季語としてはナンバーワンの知名度を誇る「秋高し」から派生し、切り離せない子季語として定着している「天高く」。
「天高く」と言えば、時候の挨拶で多用される「天高く馬肥ゆる秋」のフレーズを連想する人も多いのではないでしょうか。
過ごしやすい陽気で、澄んだ空気に空は一段と高く感じられ、馬の食欲もとまらない実りの秋を称賛し、秋の穏やかな美しさも伝わってきます。
「秋高し」よりも分かりやすく、ダイレクトに空の高さを表現できる「天高く」は、秋の季語として多くの俳人や俳句愛好家に用いられてきました。
例えば「天高く地は静かなり萩と月」と、天と地のコントラストに、秋の季語である地上の萩と天空に浮かぶ月の対比を、風流に掛け合わせた一句は幸田露伴によるもの。
昭和初期に俳句雑誌のホトトギスで活躍した山口誓子は「天高く遠流の遠を飛びて来し」と詠み、舞台となった隠岐の島には句碑が建立されました。
かつては交通も不便で、遠く離れた流刑地であった隠岐に、秋晴れの空を飛行し、あっという間に到着したと、今昔の乖離に感慨にふける様子が感じられます。
そして、山口誓子に師事した近代俳人の辻田克己は、「天高く馬肥ゆと妻肥えにけり」と故事を身近な妻と絡めて、モダンかつユーモラスに変身させました。
他にも「天高く大学祭は鳩を放つ」(岸風三楼)、「天高くわれを支ふる足二本」(安済久美子)、「一尺の水の溜りの天高く」(上野泰)など、例句は無限に広がります。
ところで、「天高く」と「秋高し」の違いはどこにあるのでしょうか。
「天」は時空、「秋」は季節を指すので、感覚的にもその差は明白です。
秋には、初秋・仲秋・晩秋と三秋あり、天高くが晩秋の頃の突き抜けるような空の高さを限定的に再現しているのに対し、秋高しは三秋全てに通ずる季節感が反映されていると言う解釈もされていますが、定かではありません。
生涯で約25,000句もの俳句を詠んだ正岡子規は、「秋高し雲より上を鳥かける」「秋高き天文台のともしかな」「秋高く魯西亜の馬の寒げなり」など、奇しくも「秋高」を多く使いました。
子規はまた、俳句学習のいろはを説いた「俳諧大要」の中で、“自ら俳句をものする側に古今の俳句を読む事はもっとも必要なり”と、俳句のスキルを磨くファーストステップとして幅広く新旧の俳句に触れることが、特に大切であると述べています。
多くの俳句を読み、感性を磨くのも俳句の楽しさのうちです。
正解のない俳句は、感じるままの思いや自分らしさを受け止め、自由に表現する機会を与えてくれます。
まとめ
古来から自然や人生の風情を描き、世界で一番短い詩として知られる、日本の俳句。
美しい情景を目にする秋は、俳句の創作意欲も高まります。
俳句には、四季の趣を表現する季語の選定が欠かせません。
「空青し」は、秋のすがすがしい青空を表現することができ、秋を意図する季語と組み合わせて句を詠むのが効果的です。
「空高く」も、澄み渡る秋空の形容にもしっくり来ますが、他季節の描写にも多用される、頻度の高いキーワードとして覚えておきましょう。
「天高く」は「秋高し」から派生し、秋空の抜けるような高い空をより端的に表現し、秋を代表する季語です。
文化の秋にちなみ、新旧問わず様々な俳句に幅広く触れ、新たな感性を磨いてみませんか。